2019年3月1日更新(73号)
トンネル 鈴木 禮子
リハビリに向かふ折しも桃山に台風荒れて折れ伏せる木々
二カ月の記憶の片鱗すらもなく脆きは人と改めて知る
延命をわれ望まずと告げながら涙溢るる何の謂れぞ
川べりの
狗尾草の群生のす枯れて赭し
人間なれば
百歳
カサコソと音立て止まぬ
雑草よ我によく似て
水気が足りぬ
送迎バスの窓ゆ眺むる蒼天に、秋イワシ雲 春は巻雲
秋冷の
先斗町にて盃を挙ぐ 医師の禁忌も忘れ果てたり
一杯が二杯となりて又増えて「強いんだなァ」と囃すは誰ぞ
この辺でもう止めるよといふ吾に猩々
息子徳利捧げて
獅子頭 厳つき名よと思ふ日に半日花は咲きて零れき
雪白の獅子がゐるとは思はねど花の気品は「王」を冠する
若さとは貪欲にして煽てにはすぐに乗り上げ
現すらなく
大学の英才にして優しくて木霊の如く人生を問ふ
そんなことは聞くなと云ひし父君を残して若き死のありしこと
明け方を膝の痛みに耐えてゐる二度と歩めぬ我ならずやも
同傷のひとに
口説くか諦めを 帰り見すれば深きたそがれ
清水の除夜の鐘聞く幼な日は数へ切れない昔であった
満州の馬橇に乗りて寧日を走って暮れたと媼はポツリ
初詣、いちは
御伊勢の神宮へ 子等も気負ひて玉砂利踏んで
やや行くに「おなか減った」と子が
強請る 温みの残るお握りの味
初物は
貴きものと言ふ
夫よ、朝熊山の初日に
染みて
氷雨降るディサービスのサロンあり人生のツケ負ひて集ふか
缶ビール隠し持てるを咎められ
項垂れてをり初老の男
怪我の後八年の余を立たれずと明るき人に何と返さむ
恙ありて老いたる
様は薄墨のかはたれ時にどっと寄せくる
若年の脚の運びは
何処ぞや
四倍かけて歩めど着かぬ
仕方なし老齢なれば 寂しさは潮騒に似て止む
目途もなし
老いたれば五人に一人は認知症、名付けし人も奇態なるべし
「非」の一字
頭にあれば認知せむ 何処か可笑しき熟語のひとつ
人の五官 用を為さずば「寝たきり」と、暗き
洞より微かなる声
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