2007年9月1日更新(30号)
紅を点ず 矢野 房子
おとづれの久しくなかりし若き友 突然の訃は音もなく来る
茫然と本閉じしばし窓の外の
朱の花を見き 夏はや来むか
生きてても良いのかと問ふわが鏡、うら若き友の不意の訣れに
山近く樹々の緑の冴えわたり森の匂ひもとうに忘れき
体重の四キロ減を知りしあさ庭の翆のさもみづみづし
オペラ座に歌舞伎の力見せしめて団十郎の幕は降ろさる
出発の祝ひのペンを持たむとき雷鳴響く 空應へしか
故郷を
学舎を捨てしわれら逢ひ、とぎれぬ想ひに話題は熱し
七十年以前に戻り語り居れば呼び名おのづと(ちゃんづけ)になる
しっかりとそして可愛く生きよとて粒あぢさゐはわれにつぶやく
カウンセリングに向き合ふ人に耳をかし絶ゆるなき川の音逸るるまで
それぞれの
彩異なれど息の合ふ友らの詠ふ
葩の会
あをだたみ一から何を始めむか素足に伝ふ匂ひ鮮し
大の字の全身に匂ふ青畳 最高といってまどろみはじむ
夫とは海外の旅に行かなんだニュージーランドの
碧知るよしもなく
夫は虚空われは機上と友に云ひひとりよがりのハワイの十日
エメラルドの
湖は瞼にまざまざと涙色には美しすぎる
腕くみて夫と歩きし道はなく変り果てたる瀋陽の街
ガラス棚に整ひ並ぶぐい呑みに亡夫の息吹きと
像と色と
奈良漬をひとくち食めば酔ふといふいぢらしき友酔ひをば知らず
気をつけてと必ず齢を云ふ友に弾き抑へて今日も出でゆく
越酒の蔵を潰せし
大地震に老舗の意地を見せたる男
頭の上の窓を先ず開け早朝の匂ひに母を思ふしきりに
わが傍に
紅点じてくれし人 若き一世に未練の残る
蝉殻の突然頭に落ち目覚むるごと蝉の一夏を身近にめぐらす
薙刀を朝々振りし
姑の事なべて消えゆくわれ口閉づれば
陶を捨て筆をも持たず茶釜さへ 青畳の上陰とし座せり
歌語り息合ふ友とひとしきり受話器の向ふの納得を見つ
歌会の初回に光るいちにんの友がもつ華おのがそばへに
夏闌くる のうぜんかづらの朱の花わづかになりて蝉の鳴かねば
▲上へ戻る